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徒然日記

ヴァーツラフ・ニジンスキー

一昨日、大劇場とバウホールのはしご観劇をしてまいりました。
まったく違う趣の3つの作品。
リピートの大劇場星組公演はもちろんですが、早霧せいなさん主演の『ニジンスキー』も良い作品でした。
ただ、彼の生涯はあまりに救いがないので、テーマが重く、ここのところ精神的に色々まいってる部分の多い私にとっては、ちょっと見ているのがつらかった。

それでも、ちぎちゃん、きたろうくんをはじめとするバウメンバーの熱演は素晴らしく、観てよかったと思える舞台でした。

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1度だけの観劇では、作品の深部までは語れないのですが、感じたことを少しだけ綴ってみようと思います。

未見の方はネタバレになると思いますので御注意くださいね。





私はニジンスキーと言う名前は聞いたことがある程度で、今回観るにあたり、前知識無しと言うのもどうかと思い、ネット等で少しだけ彼のことを調べました。

20世紀初頭にパリを中心に活躍したバレエ・リュスの美貌の天才ダンサー。
彼が舞台で脚光を浴びたのはわずか10年足らずにもかかわらず、伝説のダンサーとして今も語り継がれている。
その生涯は波乱に満ち、バレエ団主宰者セルゲイ・ディアギレフとの同性愛の関係、彼自身が初めて振付けた『牧神の午後』で露骨な性的表現を思わせる振付をして物議をかもしだしたこと、次第に精神を患い狂気の世界へと入ってしまったこと。

「すみれコード」の存在する宝塚の舞台では描きにくい彼の生涯を、どのように表現するのか…
少し不安な気持ちで観劇を迎えました。

原田先生の脚本は、ニジンスキーの生き様をごまかすことなく、宝塚では表現しづらい部分もぼやかすことなくストレートに描かれており、ニジンスキー、ディアギレフ、ロモラの3人の人物像がぶれないので、すっきりとわかりやすく、だんだんと自分自身を追い詰めていくニジンスキーが哀れでもあり悲しかったです。

とにかくニジンスキーを演じる早霧せいなさんは熱演でした。
全身全霊をこめてニジンスキーを体現している感じ。
ディアギレフといる時の抑うつ的な表情、ロモラといる時の少年のような表情、だんだんと追い詰められ精神に異常をきたしていく時の表情。
もともと細くて色白の方ですが、さらに痩せられたようで頬がこけて、追い詰められていくニジンスキー像と重なる。相当役に入り込んでいるようなので、東京の千秋楽までもつのかとちょっと心配になるくらいです。

当時物議を呼んだという『牧神の午後』は一幕終わりに登場します。
ここも小林十一さんの振付でしょうか。
おそらく、宝塚のすみれコードぎりぎりの表現でしょうね。
ある意味この場面は、当時物議をかもし出したのと同様、宝塚の舞台で表現してよいのかということにも繋がるかもしれません。ですがニジンスキーを語る上で、これを無視することは出来ないので、ごまかすことなく舞台にのせた原田先生に私は拍手です。

全編を通じて苦悩し、涙し、やがて狂気へと落ちていく彼が唯一安らぎを感じていたのが、ロモラとの時間。
実際の妻ロモラは、悪妻だったとも言われていますが、今回の舞台では、ニジンスキーのよき理解者であり彼を支える妻として描かれています。
愛加あゆちゃんは、二幕のニジンスキーを巡ってディアギレフと対峙するときの演技がとても良かった。芯の通った大人の女性に見えました。

また、なんといってもディアギレフの緒月遠麻さんが難しい役を見事に演じておられ、彼女の演技がニジンスキーの苦悩を際立たせていたと思います。
同性愛者ということでチギちゃんとのラブシーンもありますが、決していやらしい感じではなく、むしろ彼は彼なりにニジンスキーを愛し、芸術に関してはよき理解者であったのだと思わせてくれました。それゆえ、ロモラと勝手に結婚してしまったニジンスキーを許すことが出来ず、結果として彼を追い詰めることになってしまったのかと…。

その他の出演者では振り付け助手のマリー役で、男役の彩凪さんが女性を演じておられましたが、何故男役の彼女を女性役で使うのか、(しかも彼女は長身なので、いつも一緒に登場するダンサー役の大湖さんが小さく見えてしまう)その意図がちょっと良くわかりませんでした。
もちろん、彼女の女性役は綺麗ですし、経験を積ませるという意図もあるのかも…とは思いましたが。

ニジンスキーが狂気へと至った理由はあまり良くわかってないようですが、今回の舞台では第1次世界大戦下で敵国人として軟禁された彼ら一家を解放してもらうため、再びディアギレフの愛人となり、そのことが彼をだんだんと追い詰めていったというふうに描かれています。
このことについてネットを検索していたら、面白い記事を見つけました。
実はニジンスキーの妻ロモラは、日本の臨床心理学者、河合隼雄氏と交流があったのだそうです。
最近話題の映画、『ブラックスワン』のブログ記事なのですが、その中に、

>ロモラ夫人は「ニジンスキーはディアギレフと同性愛の関係を続けることで踊り続けられたのではないか。そこに自分が入り込むことで彼は魂を病んでしまったのではないか」と。

というふうに言われたという記述があります。果たして真相はどうだったのかわかりませんが、芸術家である彼にとって、生活のために踊るということは重荷だったのかもしれません。
人と交わるのが苦手で『ただ自分は踊りたいように踊りたいだけなんだ』という彼の魂の叫びが聞こえてくるようでした。

劇中で、ニジンスキーがロモラと『100年後世界はどうなっているだろう』と話すシーンがありますが、現代はまさにその100年後の世界です。
彼は幼少の頃、非西洋的な顔立ちのためにあだ名は「日本人」(イポーンツェク)と揶揄され、そのためか日本に対して特別な感情をもっていたとか。
その日本で、彼の生涯を描いたミュージカルが上演されているのを知ったら、彼はなんと言うだろう…ふとそんなことを思いました。

宝塚らしい場面は幕開きとラストの(ポスターの衣裳で踊る)金の奴隷の場面と、二幕冒頭の南米へ向かう船上の場面くらいでしょうか。
歌があるので、ミュージカルではあるのですが、内容は相当重いです。
フィナーレもありますが、本編の雰囲気をそのままダンスにしたようなフィナーレなので、残念ながらそれですっきりというわけにはいきません。
ここでもロモラともデュエットを踊りますが、最後はやはりディアギレフと…。
ここは羽山先生の振付だそうですが、ちぎちゃんときたろうくんの身長差が良い感じで、美しい、そして妖しいデュエットでした。
フィナーレの場面の下手奥に、グランドピアノが置いてあるのですが、果たしてその意図は?
舞台上のアクセントというわけでもないでしょうから、きっと何か意図があるのでしょうね。
バレエのレッスンにはピアノが付き物だからかな?(でもそんな単純なことじゃやないのかも…)
唯一最後のカーテンコールで白いタキシードでチギちゃんが登場するので、そのときの笑顔に少しだけホッとさせられました。

奇跡の舞神といわれたニジンスキーの踊りを表現するのならもっとカリスマ性を感じられるダンスでなければ…とか、ミュージカルだけに歌う場面も多いのでもっと歌えなくては…とか、技術的な面だけを捉えればまだまだの部分はあったと思います。
ですが、早霧さんが、本当に全力でこの役に取り組んでいるのが痛いほど伝わってきましたし、そのニジンスキーを取り巻く人々を演じているその他のメンバーもみな真摯に役と向き合い演じているのが感じられました。それだけでも観る価値のある舞台だと思います。
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by hotei-fan-top | 2011-05-02 17:09 | 宝塚